中国の首相、副首相(李克強、韓正、張高麗)が降ろされたらどうなるか

 このブログは、一年前に書いたものですが、昨日、中国共産党人事が決定し、No.2が、胡春華を抑えて、李強に決定したのを受けて、再度掲載することにしました。(テスト期間あけに読んでくださいね)

昨年、李克強失脚が噂されはじめた後、李克強の後任として予想されていたのは、胡春華、汪洋などでした。

私は胡春華を予想しましたが、外れてしまいましたね。(笑)

ただ、李強は、習近平の犬(厳格なゼロコロナ政策で上海で圧政を敷いた人)なので、今後の中国の経済悪化はもう止められないだろうと予想します。

経済が悪くなると、中国はまとまらなくなるので、馬渕睦夫氏は、今後分裂、崩壊に進むのではないか、と、予想していましたが、どうなるでしょうか。

毛沢東時代へと逆行しそうでこわいですね。

しかし、鄧小平時代に経済の自由化を取り入れたことで、毛沢東時代の貧困から脱却し、豊かさを味わった中国の国民は、再び貧しい共産主義時代に帰ることを拒むでしょうから、内部から民主化の運動も活発化してくることでしょう。

習近平のもと、一党独裁体制、全体主義体制が加速し、台湾侵攻へと突き進んでいく前に、中国内部の民主化勢力が強くなっていくことを切に願います


※※※

昨年(2021年10月)書いたブログ(再度掲載)


〜恒大問題にみる中国の派閥争いと日本の年金問題〜

〜李克強後の中国〜

最近、ネット上では中国の張高麗前副首相のスキャンダルでもちきりです。ハラノタイムズの記事では、習近平がこのスキャンダル報道を利用し、江沢民派の力を削ごうと考えている可能性があることを述べていました。中国情勢に詳しい人の間では、中国の恒大集団問題などもからめ、習近平が、中国の首相(李克強)や江沢民派の張高麗前副首相などを失脚させ、次期首相は、胡春華になるのではないか、という予測も出ているようです。(現副首相の韓正は、江沢民派なので。2022年には中国共産党大会で今後の人事決定が予定されています)

このスキャンダル報道で、中国共産党の闇の部分が人々に知れ渡るのはよいことだと思いますが、これにより、中国が簡単に改善されていくほど、中国共産党の闇は浅くはありません。

恒大集団には、日本の年金機構もだいぶ投資しているのですが、それについて追求する報道が親中メディアだけでなく、日本の保守ネットメディアからもほとんど出てこなかったところを見ると、保守系の人は自民党の票に影響することを恐れて、これについての追求を控えたのかもしれません。しかし、恒大集団問題や李克強の失脚などは、日本の景気に少なからぬ影響をもたらすのは必至です(不動産バブル崩壊は、日本の金融業にも影響を与える可能性があるし、李克強が失脚すれば、経済音痴な習近平の暴走はますます止まれなくなる恐れがあるので。)

〜胡春華〜

中国は、チベット、モンゴルなどの自治区で、少数民族を「上手に統治できた=容赦なく弾圧できた」という「優秀な実績を持つ」為政者が「昇進」していく、、、そんな恐ろしい昇進ルートを持った国です。胡春華は、見事にこの「優秀な」ルートに乗って現在の地位を手に入れることのできた一人と言われています

なので、習近平が李克強や張高麗、韓正を排除することになっても、逆に習近平が暗殺などで倒れることがおこっても、どちらにしろ、ポスト習近平として有力視されている胡春華のような人もまた、再び独裁、強権政治、ジェノサイド政治を行うことのできる冷徹な人であろうと予想されるので、中国の未来には、なかなか光が見出だせません。

習近平一人が倒れたところで、中国の平和が近づくようにも見えず、中国の体制を大きく転換させるようなことがおこらないかぎり、台湾危機(=日本の安全保障危機)もジェノサイドの解決も、やはり、難しいのではないか、と思います

〜中国民主化へのシナリオ〜

張陽さんなど、中国の民主化を望む人達は、台湾政府による中国本土の統一を、シナリオとして考えている人が多いようです

中国が台湾を武力で統一しようとした時には、アメリカや日本などの自由主義国が台湾とともに中国共産党政権と闘い、台湾を中国の代表として認めることにより、台湾の民主的な統治方法を本土に逆輸入させたい、という考えです

最近は日本近辺も、地殻活動が活発で、日本でも海底火山の影響で沖縄の漁業がダメージを受けていますが、そうした自然災害などが、中国の経済悪化に拍車をかけ、共産党崩壊のきっかけになる可能性もあります

ただ、もし米中対立や自然災害などの内憂外患により、中国共産党を倒すような内部勢力が出てきて、現在の独裁体制が崩れるようなことが起こったとしても、その後の混乱から中国を再建させ、平和的民主的な国を築くことは、それはそれで(台湾政府による統治であれ、アメリカなどの外部勢力が協力した上での再建であれ、あるいは、内部の新勢力による統治であれ)、とても難しく厳しい課題になると思います。

現代に産まれおちた日本の若者は、この大きな問題(中国問題)にどう対処するかということを考えながら、おそらく人生の多くの時間を費やすことになると思うし、その対処の仕方によっては、日本の行方や歴史のシナリオは天国と地獄ほどの様々な未来に分かれてくると思います

〜スタグフレーションとエネルギー危機に備える〜

中国、アメリカでは、現在、スタグフレーション(悪いインフレ)の波が、はじまろうとしています

脱炭素と言いながら、世界のあちこちでエネルギー危機も起こりはじめています

コロナも、日本では(何故か奇跡的に)おさまっていますが、韓国やシンガポール、ドイツなど、ワクチン接種から日が立って、再び活発化する国も多いことを見ると、世界の潮流的には、このまま終息するようにも思えません

最近はボナファイダーもまた閉鎖され、ヤフーなど中国から締め出された後も、ビッグテックの言論統制は今なお深刻な状態が続いています。

みなさんは、「表に出てくるニュース」や国連が唱える「平和」「脱炭素で持続可能な社会」などといったお題目と裏腹に、実際の現実世界がどうなっていくのか、この「理想と現実のギャップ」を、一瞬一瞬、肌で感じとりながら、よく心に刻んで、これからの歴史の一幕一幕を覚えておくといいと思います(その経験の一つ一つが未来への智慧に変わっていくと思います)

〜文学や古典に浸ってみよう〜

AIが届かないような、心のひだを学ぶことができるものが「文学」だと思います

受験勉強は、方向を間違えると、自分をAI化していこうとしてしまい、効率性ばかりを求めていつの間にか「心のひだが読めない人間」=「冷たい人間」「他を見下す人間」「未来が読めない人間」になってしまう危険性もあります。情報処理能力は、人間の能力の一つではあるけれど、全てではありません。でも、それだけが人間の優秀性なのだと錯覚すると、そのAI的知性(情報処理能力)の高さ故に、自分の力を過信して、つまずくことさえ起こりえます

エリートが陥りやすい罠、と言ったらいいでしょうか。

官僚が机上でデータを見ているだけで、あたかも、自分が世界の経済や地球の気候変動をコントロールしているような錯覚に陥るのと同じような罠です(政府の政策が庶民に実際にどういう影響を与えているのか、現場感覚との乖離に気づかないまま、自分の知性だけで、世界をコントロールできると考えてしまう、学校秀才型エリートが陥りやすい罠。 あるいは、国民の労働によって得た血税を、様々な所に分配しているのだから、政治家は、納税者に感謝すべきなのに、それを、あたかも「自分自身が」弱者にお金を配っているかのように錯覚して、自分が感謝されるべきだと考えてしまう、という権力者が陥りやすい罠)

こうしたエリートは結局のところ、データ分析や書類の書き方は秀でていても、「無知の知」ということができていない人(自分という人間が、多くの人達の汗に支えられ、多くの人達の存在によって生かされている、小さな編みの目のような存在に過ぎない、という、ことを知らない人。詳しくは、吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」参照。吉野源三郎は左派の学者ですが、この本はとても良い本だと個人的には思っています)だと思います

皆さんの中には、将来エリートになっていく人達はたくさんいると思いますが、どうか「自考できる」「己を正しく見られる(人間としての知性の限界を知っている)」、本当の意味でのエリートを目指してほしいです。ただただお上に従うようなイエスマンではなく、自考できる「本当のエリート」が日本を救う、と、私は信じているから、「本当のエリート」を育てたくて、私は今教員をしています

東大に合格して、エリートコースに乗ったと思いきや、社会に出て落ちこぼれていった人を、私はこれまで、本当に何人も見てきました。

学歴とサバイバル能力とは必ずしも合致しないことは、常日頃からつくづく実感しているところです

学校の勉強ができなくてもサバイバル能力や、発想力が高い人はたくさんいます

人間の能力は、多角的に見るべきもので、ペーパーテストでは測れない能力もたくさんあるので、仮に、学校の勉強につまずいている人がいても、それだけで自分を簡単に見限らない方が良いと思います( ペーパーテストで点を取れるタイプの人は官僚には向いています。書類作成能力が高い、ということなので。優秀な官僚は日本を支える力なので、そうした能力を磨いて官僚やエリートを目指すのも、もちろん素晴らしいことだと思いますし、学歴に頼らずに個性で勝負して、道を切り開くのも、どちらも素晴らしいことだと私は思います。) 

我那覇真子さんや妙佛さんのように、個人の勉強や能力、努力で一流のジャーナリスト並に活躍していく道もあるし、勉強を続けていけば、人生のシナリオは一つではありません

どうか、時には、テストの点を稼ぐためでなく、純粋に文学や芸術などを楽しんだり味わう時間を、取ってみてください。

それは、(たとえテストの点数には直結しなくても)、必ず感性や悟性を磨くことになるし、これからのAI社会では、むしろそうした所に、貴重な価値が埋まっていると私は思います。

AI化が進むと、人々は時代に乗り遅れないように、パソコンなどの技術面を追いかけていこうとしがちですし、現代も、世の多くの親たちは、子供の将来が困らないように、効率的な受験勉強を提供してくれる塾にお金をつぎ込んだりしていることが多いかと思います。それはそれで親の愛情でもあると思いますが、でも、時には、逆の発想があっても良いと私は思います。つまり、AIや学歴社会が重視する「効率性」や「情報処理」等とは対極の側にあるような分野において、自分の能力を磨いてみる、という発想です。

AI化が進めば進むほど、かえって、人々は、「AIが満たしてくれない分野」に、人生の生きがいや、価値を求めるようになります

今現在マスコミに注目されていない分野の中に、未来社会の芽が眠っていることもあります

こうした激動の時代だからこそ、時には、氾濫する週刊誌的な情報から離れ、文学や古典、芸術などをじっくり味わうような「心を耕す」時間を取り、感受性を磨く努力も忘れないでいたいものだな、、と思います。



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