幸せは全部自分の心が決める
コロナが長引いてくると気持ちが何だかふさぎがちになってきますよね。
今日は、古典の勉強はちょっと横においておいて、私が中学生のときに元気をもらった話を紹介したいと思います。
私は中学2年生の時にイジメにあったのですが、そうした自分を元気付けてくれた恩師がいます。その恩師は中山靖雄先生という方で、今はもうお亡くなりになったのですが、本も書かれている方です。
高校の時に家出をしたときも、長いことその先生のお宅で居候させていただきました。今日はその先生に、教えていただいた話をちょっと紹介します。
中山先生は、いろんな会社の社員研修で講話をされている先生だったのですが、ある時研修に来られた男性のお話です
その男性には男の子がいたのですが、生まれつき手が不自由で、腕は、紐のように細く、ペラペラしていて、短く、ものを握ることもできませんでした。
その子は、幼い頃は、そのペラペラの腕が普通だと思っていたので、自分の腕のことをあまり疑問に思わないでいたのですが、小学校にあがる前になって、父親とお風呂に入っていたときに、こう尋ねるんですね
「お父さん、僕の腕は、大人になったら、にょきにょき伸びて、パパと同じになるんだね。」
それを聞いた父親は、しばらく沈黙していたのですが、じっと息子の目を見つめ、こう答えました。
「ごめんな、、。おまえの腕は、もうそれ以上は伸びんのや。大人になってもそのままなんよ」
息子はわっと泣き出して、お風呂から飛び出しました。初めて突きつけられた、辛い現実でした。
お風呂から飛び出し、廊下のすみで泣いていた息子に、父は、親としてなにも言葉が出なかったそうです。ただ、泣きながら見守るしかなかったそうです。
ところが、しばらくして、ふと息子が泣き止んでいることに気がつきました。
息子は、振り向いて、父親に向かってこう言ったそうです。
「お父さん、僕はもう泣かないから大丈夫。だって、ほら、ここ(水槽)の金魚。僕と同じくペラペラの腕だけど、泣いてないやんか。泣かないでプクプクしとるやんか。だから僕だって泣かないよ。金魚さんが泣かないんだから。」
その日以来、自分の障害を受け止めた息子は、毎朝、4時に起きたそうです。障がいのない生徒と同じように自分の力で生活できるようになるために、特訓をしたのですね。
4時から7時まで、実に3時間、毎朝、「着替え」の練習をはじめたのです
足で、制服を着るのですが、何しろ、制服の一番上と2番目のホック(ボタンを母親が全てホックに変えてある)に、足の指が届かないのです。届いても、その後が大変、ボタン(ホック)をつけるまでは、相当器用に足の指を動かさねばなりません。何十回、何百回、と失敗し、何度も泣きながら、何度も何度も諦めそうになりながら、同じことを繰り返し、そして、毎朝3時間かけて制服を着るところから、一日がスタートしたんですね。
それから、手がないので、転んだ時には手を使えませんから、頭を打たないようにしないといけません。お尻から転ぶ練習をするために、柔道を習いました。
でも、そんな特訓からはじまって、気づいた時には、中学生ぐらいで、全国大会で戦えるほどの、強い柔道選手に育ちました。
柔道選手に上り詰めるまでは、人知れない努力があったことでしょうが、彼は「自分の障がい」のせいで自分が「不幸」だとは思わなかったのですね
中2の時の私は、イジメを受けたことを、とても恨んでいました。
でも、世の中には、厳しい環境にぶち当たっても、不満を言い続け、それを不幸の原因として、一生環境を恨むだけで人生を終える人もいれば、
アコヤ貝の真珠のように、辛い経験を珠へと変えてゆく、こんな子もいるんだ、ということを知らされて、
とても胸に染みるものがありました。
人生は山もあれば谷もあります。
辛いこともあります。完璧な人間などいないのだから、失敗や挫折もあります。
恥ずかしくて穴があったら入りたいような気持ちになることだってあるでしょう。自己嫌悪に襲われる時もあれば、悔しさや屈辱感に唇を噛み締める時だってあるでしょう。
でも、言えることは、過去は変えられないけれど、「未来は変えられる」ということです。今の自分は嫌いでも、「その自分を変えるか否か」は、自分自身がその鍵を持っているのです。
人生を作るのは自分です。自分が人生の主人公なのです。
人は、変わることができます。
「今」をどう生きるか、によって。
一瞬一瞬の「今」の選択が未来を作っているのです。
だから、時々、辛いことがあると、この男の子の話を思い出します。
金魚に学んだこの子に恥じないような、そんな生き方がしたいものだ、と、
大人になった今でも時々思い出して、励みにしているお話です。