儒家と法家②

 ~「誰が正しいか」 ではなく「何が正しいか」を求める~

さて、前回の続きをかくまえに、一度誤解のないように私の政治的な立場をお話したいと思います。以前お話したことがありますが、私は親戚に中国人がいます。私はその親戚を尊敬しています。だから、私には中国人を排撃したい気持ちは全くありません。中国人だろうと日本人だろうとアメリカ人だろうと、白人だろうと黒人だろうと黄色人種だろうと、人間として、その人権は平等に尊重されるべきだと思っています。

でも、だからこそ「人権を踏みにじる行為」については、それが日本政府だろうと中国政府だろうと、やっぱり、同じ人間として、「悪いもの」は「悪い」と言わなくてはいけないと思うのです。

~ウイグルの悲惨さ~

実は、日本の主流メディアは、中国共産党の人権侵害のひどさについて、ほとんど報道しません。アメリカは、中国がウイグルなどの少数民族に対して行った弾圧を「ジェノサイド」と認定しましたが、日本はそれをスルーしています。

ウイグルは本当に悲惨です。私がウイグルの悲惨さを始めて知ったのは、10年ぐらい前のことになります。きっかけは、広島大学の高田純先生のドキュメンタリー映像について知ったのがきっかけです。それは「死のシルクロード」というドキュメンタリーで、中国政府の核実験の実態を明らかにした内容になっています。高田先生は、命がけで、シルクロードに取材にいき、広島の原爆の何百倍もの放射線をあびて病気や奇形児が多発しているウイグルの悲惨な実態について、調査、報道しました。そして、この映像はローリーペック賞という賞を受賞し、世界83カ国で放送されたにもかかわらず、日本の主流メディアは、放送することも報道することもしませんでした。

~日本の主流メディアが、中国の実態を報道しない理由~

なぜ、日本は、中国共産党の人権侵害について報道しないのか。それについては、実は理由があります。

中国と日本が国交を回復した時、日中の間では、裏側で「日中記者交換協定」というのが結ばれています。この協定により、日本のメディアは、「中国共産党を敵視するような報道は差し控える」という約束をしているんです。だから、中国共産党が「これは駄目」と言うものについては報道できない。報道すると、中国にいる日本人の新聞記者や報道関係者が捕まってしまう可能性があるから。

また、それだけでなく、現代はネットの普及により、新聞社などは軒並み赤字に転落しています。新聞社の中には、中国共産党から「広告料」をもらっている所も多く、経営存続のために、中国を強く批判をできない、そういうわけで、日本では、中国共産党のひどい人権侵害についてはやんわりとしか報道ができないのです。

残念ながら、日本では新聞やテレビ報道では中国の裏側を知ることができない状態で、中国共産党についての情報は、台湾や海外のメディアなどから情報をとらないと、時代を読むことができない状況です

~「悪いこと」を「悪い」と言える勇気を~

でも、考えてみてください。コロナ患者を最初に発見し警告をした武漢の医師を刑務所行きにしたり、武漢の肺炎の実態を報道した記者を懲役刑にしたり、そうした、正しいことをした人達を弾圧するような「悪」に対して目をつむることが、本当に「友交」だと言えるでしょうか。

ウイグル人であるというだけで、強制収容所におくりこみ、イスラム教を棄教させ、ひどい拷問をあたえ、ウイグル人が住んでいる地域で核実験を行い、生きたまま臓器を取り出してお金にかえる・・。これをジェノサイドと呼ばないならば、一体何をジェノサイドと呼ぶのでしょうか。

こんな暴挙をみすごしている日本政府や日本の主流メディアを、同じ日本人として、私は恥ずかしい。情けないとしか言葉が出ません。

中国の国民は、真実を知らされずに苦しんでいます。去年は、ひどい洪水のため、政府は都市部を守るために、「共産党にとってあまり重要でない地域」に洪水の水が流れ込むように、ダムを意図的に決壊させました。「命の選別」をしたわけです。そして、洪水になる地域に避難勧告を出すと、当局が災害を予想できたことがばれてしまい、保証金を払わなくてはいけなくなるので、予測できなかった自然災害として見過ごすために、それらの地域には避難勧告も出しませんでした。何も知らされなかった多くの長江流域の人々は突然洪水に見舞われ、被災し、多くの命が奪われました。家を失い、食料に飢えた国民が今もたくさんいます。被災した国民が、その惨状を訴えようと、洪水被害についてネットで投稿すれば、全てを検閲し削除し『無かったこと』になってしまうのです。

苦しんでいる人達が沢山いるのに、それを、黙っていることが、「平和的態度」だとは、私には到底思えません。 ノーベル平和賞を受賞した劉暁波は、日本に対して「中国の悪い部分に目をつむることがはたして友情だろうか」「本当に中国を友達だと思うなら、日本はきちんと中国の民主化を助けるべきではないのか」と言っています。

~友好のために、日本がやるべきこと~

なので、どうか誤解しないでほしいのは、私の中国共産党批判は、決して「中国人」批判ではありません。私が批判しているのは「中国の国民」ではなく、「政府」であり「政治」です。国民はある意味被害者です。だから、私のブログを読んで、中国人の生徒を敵視したり差別するような言動につなげることだけは、絶対にやめてください。(そんなことはないでしょうが)万が一にも、そうした行為をした人がいたならば、私は許しません。日本の学校では、どこの国の生徒であれ、みな平等です。等しく尊い存在です。中国の若者たちは、むしろ、こうした現状を変えていかなくてはいけない「重たく尊い使命」を背負った人たちです。前途多難の厳しい中を生きています。中国が国民の人権を重視する国になっていくために、私達がそれぞれの立場で何ができるかを、これからも考えて行く必要があると思います。

~中国の古典を学ぶことは、現代社会を見抜くヒント~

さて、話がそれましたが、そのためのヒントが、実は中国の古典にあるのではないか、と私は思っています

例えば、日本では徳川時代の安定に、儒教の思想はとても大きな役割をはたしました。

だから、このブログでは、中国の古典を学び、漢文の受験勉強をしながらも、受験だけではなく、これからの時代を読むためのヒントを得られるようなテーマについて扱えたらいいな、と思っています

・・しょっぱなから重たかったかな?笑

このテーマが終わったら、時々は「軽いもの」もいれたいと思いますが、今回のテーマは、私のライフワークとしても大切だとおもっているので、良かったら我慢して読んで下さいm(_ _)m

それでは、最後に、中国の民主化に命を捧げ、獄死した劉暁波の言葉を紹介します

~劉暁波 「私には敵はいない」より抜粋~ 

私には敵はいないし、恨みもない・・私を監視し逮捕し尋問した警察、私を起訴した検察官、私に判決を下した裁判官は、いずれも私の敵ではない。 あなたたたちの監視・逮捕・起訴・判決を 私は受け入れることはできないが、・・ あなたたちの人格と職業を尊重している・・・

恨みは人の知恵と良知を腐食させ、敵対意識は民族の意識に害毒を与え、生きるか死ぬかの残酷な闘争をあおり、社会の寛容と人間性を破壊し、国家が自由民主の進路に向かうのを妨害するからである・・それゆえ、わたしの最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛をもって恨みを解きたいと希望している・・・・・

この20年で最も幸運なことをあげるならば、それはわが妻、劉霞の無私の愛である・・あなたの愛は高い監獄の塀をこえて、鉄窓から差す陽光のように、私の皮膚にくまなく触れて、私の細胞の1つ1つを暖め、私に内心の平和と伸びやかさと明るさを与え、獄中の毎分毎秒を満たしてくれる・・・愛しい妻よ、あなたの愛があれば、私は平然と未来の審判に立ち向かい、自らの選択を後悔することなく、明日を楽観できる・・・

我が国が自由に表現できる国となり、一人一人の国民の発言が等しく扱われることを期待している・・・そこでは 異なる価値、思想、信仰、政見は相互に競争しつつ平和共存する・・・国民は誰もが恐れることなく政見を発表し、異なる政見を発表したことによって政治的迫害を受けることはない。

・・私はこう期待する、まさに中国の連綿として絶えることの無かった言論弾圧の「最後の犠牲者」に私がなり、これからは誰もが発言のゆえに罪を得ることのない社会が実現することを・・。 


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