世界大戦の瀬戸際にあって 2
~イメージ選挙を脱却したい~
一日本人として、
トランプやプーチンに対して危険なイメージをうえ続けてきたマスメディアとは反対の
トランプやプーチン側の意見や政策、主張を紹介してきたのは
「マスメディア誘導型のイメージ選挙」を脱却できる人達を育てたい、、
という思いが私にはありました。
とはいえ、マスメディアとは逆を行く私のブログは、
大学生以上ぐらいでないと本当は通じなかった内容なのかもしれません。
難しくてついてこれない人も多かったとは思いますが、
前任校の生徒たちを見て、際立って優秀な生徒たちが多々いるのを見て
あえて、日本の主流メディアで言われていることとは逆の、アメリカの保守派の
情報を紹介してきた所もありました。
もちろん、日本のマスメディアが全てフェイクで悪だというつもりはないし、
アメリカの左派マスメディアと戦っている側のトランプだって
人間として完璧なわけではありません。
私のブログでも、私の言論に間違いを見つけ指摘してきてくれる生徒がいたおかげで
私自身勉強させてもらえて、時々訂正を加えることができたことも、
私としては感謝しかありません。
私の言論を読んで
なおかつマスメディア側の言論を支持し
アメリカのバイデン側の政策を支持する人がいたとしても
それは尊重されるべきだと私は思っています。
政見がいろいろ分かれるからこそ、国民に 投票権が与えられているわけですし、
政見が違う人達が 暴力で相手を倒すのではなく、
言論と投票によって世の中を変えていけることこそが、
「民主主義社会」の在り方だと思うからです
だから、マスメディアのいう通り「ゼレンスキーやバイデンを支持すること」が正義であり、日本を守る道だ考える人は、岸田ーバイデン外交を応援すればよいと私は思いますし、
反対に、私のブログで紹介してきたトランプやケネディなどの言論(ゼレンスキー支援をやめ、即刻停戦すべし、という考え)の方が正しいと考えるならば、それと考えが近い政治家に投票すればよいのだと思います
日本のマスメディアの情報だけを情報元とすると、アメリカ民主党支持の情報しか得られないので
彼らが進めようとしている政策(ウクライナ支援など)の是非について、
それらの政策を擁護する側のマスメディアの論理と、
それに反対する側の言論(アメリカ保守派の言論など)と見比べながら、
どちらが本当に日本を守り、世界を平和に導く政策なのか、ということを、各自が「自考する」ことが大切である、と、私は考えています
私は松尾芭蕉や芥川龍之介や鴨長明や吉田兼好や本居宣長、下村湖人、武者小路実篤など、日本の文学がとても好きだし、
孔孟思想や、墨子、老子荘子などの中国の諸子百家の思想がとても好きなので
これらの思想を勉強できる仕事に従事した日々は、私にとってこの上なく、幸せな時間でした。
特に前任校は
とても優秀な生徒たちがたくさんいたので、
毎日がとても楽しかったです。
けれど、香港で教科書の書き換えが始まった2020年ぐらいから
日本の香港化への危機を強く感じるようになり、ブログをはじめました
そして、安倍さんの暗殺の頃から、いよいよ本格的に日本にも戦争の未来(あるいは亡国の未来)が近づいてきたことを感じるようになりました
(※詳しくは孫崎氏のYou Tube動画かTwitter動画を見てください。私は安倍総理暗殺については、孫崎氏や田中宇氏と同じ見解です。)
孫崎享氏動画 YouTube
※上記の動画(後半)を見ると、安倍総理のウクライナ紛争についての見解は、この戦争を「ロシアの侵略戦争」ではなく、「ドンバスの分離独立戦争」と位置付けた東大の松里公孝教授とほぼ同じであったことがわかる。
※私はこれを見たとき、トランプが最近の演説で「ケネディ暗殺の真相の公表」を、再選時の公約にかかげたことの意味を重く受け止めた。
※私も、孫崎氏や茂木先生同様、安倍元総理の暗殺の真犯人はアメリカだと考えている。孫崎氏の示唆するように、安倍元総理がロシアとウクライナの仲介に入ることを恐れたアメリカが もし本当に安倍総理を殺したのだとしたら、アメリカがバイデン政権であるかぎり、日本が戦争に巻き込まれることは、もはや止められないのではないか、と。
※来年もしトランプが再び大統領に返り咲き、ケネディ暗殺の真相が公表されれば、安倍総理暗殺の真相もそれに続くように明らかになってくるだろうと私は考えている。どちらにしろ、本当のことは、時間が経たなければわからないのだろう。トランプが言うように、グローバリストやネオコン(戦争屋)のために、まもなく人類は核戦争に突入するかもしれないし、今は、人類は世界大戦瀬戸際のギリギリのラインに立っていると私は思う。
※ただ、それを統一教会批判の真っ最中の昨年の段階で私の言葉として語ってしまえば、「陰謀論者」と言われるので 昨年の段階では、オブラートに包んで語るに留めました
そういうわけで、
私は
安倍元総理暗殺の頃から かなり真剣に今後の
未来のあり方、生き残る道を模索しはじめました。
戦時下の食料危機に備えて兼業農家の道を模索しはじめた時に、
偶然にも、昨年、農地を持つ田舎の親戚が一人亡くなり、農地を管理する人が途絶えそうになったため、
その親戚から「あとを継がないか」と声がかかり、
今年4月、転職に踏み切り、農業の勉強をはじめたのです。
~己の無力感や平凡性を自覚している者の方が人生では長い道のりを進める~
何しろ世田谷育ちの人間なので、農業はど素人で、小学生以下の自分です
東大の古典入試問題は解けても、
草むしりさえ上手にできない自分がとても情けないのですが
人間は、時々、「自分一人では何もできない」という現実に 向き合う時間が
必要であるように感じます。
今までの人生を思い返してみても、
自分の無力さを痛感した時期というのは何度かありましたが、
人生の中で、とてもとても大切な「自分の根を培う時間」となりました。
根が深くなければ、大木は育たないんですよね。
多くの人達は、
親になった時に、はじめて、親の苦労を知るものです
みなさんも、
「誰もが 多くの人のおかげによって生かされている存在だ」ということを
いつか身にしみて感じる時がくることでしょう。
でも、それは「与える側」に立つ経験がなければ
なかなか気づけないことなのかもしれません。
小学生ぐらいの感覚で
「ほめられるため」「みとめてもらうため」というふうに
「もらう側」に立っているうちは、
どんなに勉強をしても、
「自分とは何者か」を知ることは きっとできないと私は思います。
親になったり社会人になって
他人に与える側に立つようになり、
「後れて来る子どもたちや社会のために自分ができることはなにか」ということを考えるようになり
与える側の苦労を知って、
その時に、初めて
「生かされてきた」自分の姿に
気付くことができるものなのかもしれません
~自殺だけはするな。餓死もするな。~
今後もし食糧難がきて
餓死しそうになったら、
どうか遠慮なくメールしてください。
たいそうなことはできませんが、
古米で良ければさしあげることができます。
人間はお米さえあればなんとか生きていけますから、せめて
私の教え子達が餓死することがないようなサポートぐらいはできる人生でありたい、というのが
今の私のささやかな願いです
~軸を持って生きよ~
これからは、外側から与えられたレールに乗っかって生きようすること(学歴や知名度などに頼って成功しようとすること)が、通用しない時代だと私は思います。
この混沌とした時代に生き残っていくためには、外側の物差しにそって生きるのではなく、
自分の内に確固とした「軸」(生き方の指針となるもの)を
一人ひとりが 培わなければならない時代なのだと思います。
どうやって自己の軸を培っていったら良いのか、
そのためのヒントになるようなものが、古典にはたくさんあります。
だから
もし、近い将来、戦争の時代にはいり、
学校に行けなくなるようなことがおこったとしても
どうか一人でも勉強を重ねられるような
そんなみなさんでいてくれたら
うれしく思います。
それでは
最後に山本有三の言葉を送ります
たったひとりの自分を
たった一度の人生を
本当に活かすことができなかったら
人間として
うまれてきた甲斐が
無いじゃないか
山本有三「路傍の石」より