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12月, 2022の投稿を表示しています

古典を学ぶ意味4

 〜宗教は、「この世の生命やこの世の幸福を粗末にする」ものであってはいけない〜 キリストは、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と語っていますので、聖書では、この世の幸福を半ばあきらめているように見えたりはしますが、 それは、時代性も影響しているのではないでしょうか。 イエス・キリストの生きていた時代、キリストの弟子たちは漁師や娼婦など、身分が低く、貧しい人が中心でした。 方丈記を書いた鴨長明が厭世的なのも、鴨長明の生きた時代が、飢饉や津波、地震、大火などに見舞われた悲惨な時代であったことが大きく影響していると、私は考えています。 つまり、現世への希望が見いだせない時代だったからこそ、人々は来世に希望を求める宗教を心の支えにしたのではないでしょうか。 キリスト教では、ルターの宗教改革がおこり、プロテスタントの教義で、「働いて稼いでも(お金持ちになっても)天国に入る道」が説かれたことにより、資本主義社会(現世での幸福や発展を求める社会)と両立させてきた歴史があります。 そもそも、ルターが、キリスト教の宗教改革の道を切り開いたのは、「天国に入りたいなら、免罪符を買え」と言って信者から献金を集めた教会に対して、「良心とつながることによってのみ人は天国に入れる」とルターが主張した所にはじまりました。 「教団に献金すれば天国に入れる」と言って、子供が一生懸命稼いだバイト代を本人の意向に反して取り上げること自体、 統一教会の信者たちは、 キリスト教の歴史を、本当に勉強しているのだろうか、という疑問がわいてきます。 統一教会問題にしても、 オウム真理教問題にしても、 もう少し、彼らが高校の社会科や古典の授業で、宗教の基本的な教養を学んでいれば、 自分達がやっていることが、歴史的にも宗教的にも 決して正義(正統)とはみなされないことに、気付けたのではないか、と、考えると、 教育にたずさわる側の人間として、 ある種の責任のようなものを感じますし、 なんだか、今の日本の状況が残念でなりません。 〜仏教と似て非なるニーチェの永劫回帰〜 近代哲学の流れの中で、「実存主義哲学」という哲学があります その中でかなり異質な哲学者として、ニーチェという人がいます。 私はニーチェは、若い頃は、あの独特な文体が好きだったのですが、 今は、もう読まなくなりました。 それは、...

古典を学ぶ意味〜その3〜

 ~地獄の怖さを描いた書「往生要集」が大ヒット〜 平安時代、道長が帰依し、紫式部が信仰していた平安時代の有名な僧侶に、恵心僧都源信というお坊さんがいます。恵心僧都源信は、後に、芥川龍之介にも大きな影響を与えた僧侶です。(芥川龍之介の『地獄変』に登場します) 源信はとても優秀な僧侶だったので、ある時、天皇に呼ばれて説法を行うのですが、説法に感動した天皇は、たくさんのご褒美を源信に与えます。その中には美しい衣類もあり、源信はその美しい衣類を郷里の母に送り届けました すると、母親は、このお土産を一式送り返して来るんですね。 そして、そこには和歌が添えられていました 後の世に わたす橋とぞ思ひしを 世わたる僧となるぞ悲しき 訳:「後の世=来世(極楽浄土)」に人々を導く 橋のようなあなただと信じていたのに (天皇に褒められたぐらいで舞い上がるような) 現世(この世)の 世渡りだけうまい貴方と なってしまったことを、母は悲しく思います 源信よ、 (人々の魂を救う)真の僧侶となり給へ これを読んだ源信は、反省し、心改めて修行に取り組み、やがて「往生要集」という本を執筆します。 当時の貴族の人達にとって、「往生要集」のインパクトは大きかったようで、 「往生要集」に描かれた地獄の世界があまりにも恐ろしいため、 藤原道長は、死後、地獄に落ちるのを恐れ、阿弥陀の救済を祈りながら、赤い糸で阿弥陀像と自分を結び、僧侶達に祈ってもらいながら、臨終を迎えました 〜仏教に系統した菅原孝標女〜 このように、平安時代は、権力や地位にとらわれず、仏教の信仰のため(来世のため)に生きることも、尊い生き方として認められていた時代だったので、 菅原孝標女なども、長ずるにつれて、 その時代の流行(←「源氏物語」という恋愛小説)に夢中だった少女時代をふりかえり やがて、子供の頃の自分を、「幼かった」「浅はかだった」と考えるようになっていきます。 平安時代の貴族たちに信仰を集めていたお寺として、初瀬の長谷寺があることを、授業でお話しましたが 初瀬詣での場面は「源氏物語」「枕草子」「蜻蛉日記」「更級日記」など、入試で出題される有名所の古典文学のほとんどに登場してきます。 菅原孝標女も、長谷寺に詣でたことがありますが 初瀬詣の日程を、なんと、当時の宮中行事に合わせて決行するんですね。 宮中の行事をサボることは、...

古典を学ぶ意味~その2~

〜「奥の細道」「方丈記」にみる仏教思想〜 前置きが長くなりました。 伊藤貫氏ですが、この動画では、日本人の価値観の3つの柱の一つに、仏教をあげていました。 聖徳太子が仏教を取り入れて、政治を行ったことで、日本文化に、より哲学的深みが加わることになった、と。 古典文学を読むときに、その当時の人達の世界観が、仏教思想に多分に影響を受けていたことを知っておくと、理解が深まります。 逆に、筆者の思想的な背景を知らないと、物語が持っている深みを味わうことができません。 例えば、『方丈記』の冒頭部分で、この世の住まいを、「仮の宿り」と表現したり、『奥の細道』でこの世を、「幻のちまた」と表現したのも、そもそも、仏教においては、現世(この世)そのものが、 「仮の宿り」だと考えられているからです。 この時代、仏道修行していたお坊さんたちは、「悟りを開くこと=覚者となること」を目指して修行しました。 仏教的な世界観では、人間は、六道輪廻といって、「さまざまな世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻している(生まれ変わっている)存在であり、悟りを開くと、その「輪廻のくびき」から逃れることができ(生まれ変わらなくなり)、仏の世界に入ることができます。この「仏の世界」こそが「真実(実在)のもの」であり、悟りをひらいて仏の世界に参入することを「解脱(げだつ)」といいます。(悟りをひらいた人のことを「覚者」といいます) つまり、仏教の世界観では、今私たちが住んでいる「人の世界」も含め、六道の世界は全て「仮の世」(夢幻のように、ほんの一時滞在する世界、いつか滅びてゆく無常な世界)だと考えられていたわけです。 「無常(いつか滅びゆく儚い世界)」=六道や現世」 「常(不変の実在)=仏の世界」 というわけです。 そして、仏教の輪廻思想の影響もあって、今世の人生を、旅に喩える、芭蕉のような考え方も、多く出てきました 道教でも、莊子の『胡蝶の夢』に見るように、現世を一瞬の夢のようなものだと考える傾向が強いです 「夏草や つはものどもが 夢の跡」 の句にも見られるように、 芭蕉は、仏教や道教の影響を多分に受けている人でした。  〜ソクラテスやプラトンも輪廻を説いた〜 実は、この輪廻の思想は古代ギリシャのプラトンのイデア論にも通じます。 ソクラテスは、生前、若者たちに、輪廻について語っていました(プ...

3つの対立

 2020年以降、 アメリカや日本では 以下の3つの論点で主に 言論が対立してきました 1  2020年のアメリカの大統領選で不正があったかどうか 2 コロナワクチンは有効かどうか 3 ウクライナ戦争は、ネオコン(バイデン政権)やゼレンスキー政権にも非があったかどうか この3点で、欧米側のメディアを信じる人は 1先の選挙では組織的で大規模な不正はなく、 2ワクチンは概ね有効で、 3ウクライナ戦争はロシアの一方的侵略で、ゼレンスキーは正しい と考えてきました 逆に欧米メディア(欧米メディアを翻訳するだけの日本メディア)を信じない人は 1 選挙では大規模な不正があり、 2 ワクチンは効かず(もしくは有害)で、 3 ウクライナ戦争はネオコン(バイデン側)にも非がある、 と主張してきました。 保守系リベラル系関係なく、日本の言論は この3点で、分断しました。 ジョージ・ソロスなどのユダヤ資本が牛耳る欧米メディアは、ほとんどが大手製薬会社やアメリカ軍需産業などグローバリストたちのプロパガンダ機関となっていると考え、メディアを信じない(反グローバリズムの)人は、後者の見方をし、 主流メディアは、こうした(メディアを信じない)人達を「陰謀論」とか「極右」と罵り、 トランプを代表とする反グローバリズムの人は逆に TVや新聞をオールドメディアとか情弱(情報弱者)、フェイクニュースなどと言って罵りました。 私は、ここの所、主に 後者の立場に立った言論(トランプ側、共和党側、反グローバリズム側 日本では我那覇真子氏などの言論)を支持しているので、主流メディアとは逆の論調になります。 私は私自身が、現段階で正しいと考える情報や意見を書きますが、 それは決して絶対的なものではありません。 それを理解してもらった上で、ブログを読んでもらえれば幸いです

古典を学ぶ意味〜その1〜

〜この世相で、不審者も多くなる〜 最近、私の勤務先の学校で、校門前に白い服を着た怪しげな人が立っていて、「キリスト教の布教」という名目で、名刺を配るなどの活動をする、という出来事があり、生徒達が気持ち悪く思っている、ということがありました。 私の学校は無宗教なので、学校関係者が、不審者に立ち退くように言っても、「信教の自由だから」と言われると、強く言い返せなかったようです。 法律を持ち出されると、強制的に布教をやめさせるのは難しいく思えるかもしれませんが、 むしろ、ミッション系の学校関係者の方が、 立ち退きを迫るのは、やりやすいような気がしました。 ミッション系の学校であれば、 相手の目的が本当にキリスト教の布教なのか、単に個人情報を集めるために宗教を口実にしているだけではないのか、 どこの宗派や教会に属しているか、 聖書のどの部分を広めたいのか、 などを聞き出して、 「それは、我が校の教育理念として教えているキリスト教とはズレています、やめてください」と言えば  それで終わりです。 アメリカや欧州などでは、ミッション系が多いので、かえって、不審者や異端者を、追い払いやすいと思います。 キリスト教の知識があり、討論しても負けない自信があれば、ためらわずに、追い返すことができるのですが、 キリスト教の知識がないと、相手のどこが間違っているか指摘できないので、 追い返すのに躊躇いが出てきやすいと思います。 〜現代日本人は、なぜ価値判断能力を失ったか〜 先日、チャンネル桜で、伊藤貫氏が面白いことを言っていました。 現代日本人が価値判断能力を失ったのは、 1 明治政府が、廃仏毀釈により、仏教を弾圧したこと、 2 先の敗戦により、GHQの政策で、日本の伝統的価値観(万葉集から続く日本的なものの見方、神道など)が軽視されるようになったこと、 が原因である、と。 つまり、古来から日本人の価値観の柱となってきた精神的な3つの柱(「古事記など神道や武士道」「仏教」「漢籍(儒教などの思想)」)を、現代日本人が学ばなくなったから、日本の国力が弱ったのだ、と。 結果、宗教の基礎的な教養が足りないために、 戦後、高学歴者が、オウム真理教のようなテロ組織に簡単にはまり込んでしまうような国になってしまったのではないでしょうか。 こうした出来事を見るにつけ、 現代の若者が古典を学ぶ大切さを痛感する...

重要文㉑ 係助詞➁ 

 係助詞➁   問題 https://drive.google.com/file/d/1NosxrTscrHsDH0Y9J_UEQ8I0rHIgsSgR/view?usp=sharing  解答 https://drive.google.com/file/d/1oxSLBBTlPmgAAa7JnVmGz-9zl1OC5Qj-/view?usp=sharing 補足 「こそ〜已然形」が逆説になるのではなく、 「こそ〜已然形、〜。」のように、已然形のあとに「、」があり、下に文が続くときに、逆説となります 例 風こそふけ。→訳 風が吹く。   風こそふけ、雨降らず。  →風は吹くが(けれど)、雨は降らない。

年末まで更新できません

 話題は山のようにあるのですが(イーロン・マスクの最近の動向や、ファウチの証人喚問のこと、中国の白紙革命を邪魔したアップル社のこと、川田龍平氏がワクチン被害者のために動いていることなど。)、何しろ仕事が立て込んでいるため、年末までは、ブログの更新できませんので、ご了承ください。(更新を楽しみに、ちょくちょく見にきてくださっている方、ごめんなさい。) 先週実は私の娘が本当にコロナになってしまい(今回はPCRで陽性反応、今年の春休みに発熱したときには、友達の一人に陽性反応が出ただけで、本人はPCRは受けていない)、私自身、濃厚接触者に認定されてしまったため、先週授業を3日休んで、抗原検査を受けました。 娘の濃厚接触者は今回2人いて、一人はワクチン接種済の友人、もう一人は私(ワクチン未接種)でしたが、 二人とも、全くうつりませんでした。 私は、今回は、うつるとやばいと思い、イベルメクチンを初めて服用してみました。 私は「絶対に感染するまい」と自己暗示をかけて過ごしていたのですが イベルメクチンが効いたのか、腸活(オリゴ糖を取るように気をつけている)が効いたのか、亜鉛やビタミンDが効いたのか、自己暗示が効いたのか、何が効いたのかは不明ですが、とにかくうつりませんでした。 娘とはマスクをして会話するようにし、食事は分けたものの、古くて狭いアパート暮らしの我が家にとっては、部屋を分けてもふすま一枚を隔てただけで、トイレも洗面所も同じなので、これで感染対策がバッチリだったのかは、かなり怪しい所です ちなみに娘は、マックス39度でしたが、それも一日でさがり、 2日目からは、普通に肉とか食べて食欲も戻り、 時々咳がでる程度で、3日〜4日目からは、ほぼ普段とかわらないぐらいの元気さに戻っていて、火曜日から就活に復帰しました。 十年以上前に、インフルエンザで親子で寝込んだ時よりは、はるかに病状は軽かったです。 私の子供は3人いるのですが、3人とも、幼い頃に肺炎や喘息の発作などで入院した(一人は生死を彷徨った)ことがあるのですが、 肺を鍛えるために、水泳をやらせたり、副腎を鍛えるようにさせてからは喘息は治り、 小学校高学年を過ぎてからは、喘息の薬も飲まなくなっていました。 だから、39度の熱が一日出て、薬で収まる程度の症状というのは、正直、子供が酸欠で救急搬送された体験をした私の目...